クローズドβ最終日
2005年9月25日
最終日には、イベントがありました。
クローズドでは、西アフリカ以降の港が開港されてなくて、現在の港はすべて補給港でした。
イベントもそこから先には進めせんでした。
しかし、最終日だけ特別に、ケープが開港されることになりました。
しかもレース形式で、確か夜8時からだったか、リスボンの教会で受付をすませてからケープに行くと、先着でいいものがもらえるという…。
最終日なんだから、現実の物でない限り何をもらおうとどうしようもないんですけどね。
どちらにせよ、9時過ぎでないとログインできない私は勝負とは無縁です。
しかしイベントは夜12時までやっているというので、とりあえず行ってみることにしました。
スタートが遅れたせいで、誰も一緒に行ってくれるフレはいません。
このイベントのために新調した軽ガレーに乗り、ひとりでいくことにしました。
この9時過ぎでないとログインできないというのは、今でも同じなのですが、最近のゲームのイベントは、8時頃から始まるのが圧倒的に多く、遅くならないとログインできない私は参加できなかったりして歯がゆいですね。
大海戦の10時というのはギリギリのラインです。
9時なら100%参加できません。
終盤のレベリングで、カツマも戦闘Lv13くらいになっていて、軽キャラベルに乗れるようになっていたのに、軽ガレーで出撃することにしたのは理由があります。
このイベント、ケープに着くまでにGMやスタッフが戦闘をしかけ、邪魔をすることになっていたのですが、明らかに弱い船に対しては戦闘をしかけないらしいのです。
まぁGMやスタッフの船は戦闘ガレオンだったみたいなので、今考えれば軽キャラベル1隻でも充分弱いのですが、当時はそんなことわかりませんから、念のため軽ガレーを選んだというわけです。
そして私にとってはラッキーなことに、参加者が多かったせいか、イベントが始まってからまもなくサーバーダウンしていたようで、終了時間が1時間遅くなって、翌日1時までとなりました。
で、リスボンで参加証のアフリカンフェザーだったかをもらい出発したのですが、ビーチ製軽ガレーなので、これが遅い遅い。
今なら商用フリッパーで直行だと45分くらいだと思うのですが(大回りしたり途中寄港することが多いので正確なところはなんとも)、当時1時間半はたっぷりかかったと思います。
2時間まではかからなかったかな。
しかも私は冒険野郎ではなかったので、そんな補給港しかないようなところには行ったことがなく、どこに港があるのかとかどのへんに海賊が多いとか全然知りませんでした。
なので海賊を避けるために陸から離れて航行するのはいいけど、それだと逆に補給港の場所がわからないと、いろいろ不便な思いもしました。
実際、どうやらカーボを見落としていたらしく、アルギン→シエラ間で食料が尽きかけています。
しかし、料理で凌いで何とか航行。
周囲にはスタッフやGMに襲われた艦隊とかもいましたが、GMさんは私の小さな船は見逃してくれたようです。
ケープに到着すると、既にたくさんの人が中にいました。
私は到達した男性キャラ全員がもらえるズールーウォリアーを着てみたのですが、これが何とも似合わない…。
今までリスボン投資で買えていたコルセアコートを着ていたのですが、無理もありません。
でもまぁお祭だからと思って着ていたのですが、どうにもひとりなので寂しいです。
しばらくして先日野良艦隊でご一緒した、Dさんと再会しました。
そこでDさんの知り合いの方がたに交えてもらって、記念撮影をしたり、イベントの話に花を咲かせたり、楽器を演奏している人たちや無意味に家の周りを取り囲んでいる人たちを見物したりしました。
また現地にはGMやスタッフもいて、プレイヤー達はくちぐちに要望や意見を出してました。
h嬢は私よりさらに遅れてスタートしたのですが、彼女の商会の人たちに助けられ、何とかギリギリで間に合いました。
残念ながら商会の人たちに囲まれた彼女とはほとんど話せなかったのですが。
思えば仲間うちで4人で始めたクローズドでしたが、めぐみんは初日見ただけ、笹山も中盤で脱落し、残ったのはこの2人だけでしたね。
そして、ケープからリスボンになんとワープできたので、帰りはうんざりするほど長い復路を引き返さなくてもすみました。
リスボンで待っていたmiumiuに、お土産のケンテを渡し、SSを撮ったりして、またカツマに戻りました。
まだサービス終了までには時間があったけれど、カツマの最期は決めてました。
まず生まれ故郷のロンドンに戻り、広場で敬礼し、シュランのクエをひとりで受け、完膚無きまでたたきのめされ、コペン沖に沈んだのです。
下手な終わり方をすると、サービス終了ギリギリまでふらふら遊んでしまいそうだったので。
クローズドの時の大航海は、今ほど相場がシビアじゃなかったし、ブースト装備も比較的簡単に手に入ったし、ハンザ金貨なんてハンブルグで普通に売ってましたからね。
今と比べるとかなりヌルかったけど、その分快適に遊べてたような気がしました。
なのでケープでGMやスタッフに投げかけられた声も、まぁ最終日まで残っていたプレイヤーだからかもしれませんが、声援や建設的な意見が多かったように思います。
あからさまに苦情を言うような人はまずいませんでした。
今のような仕様だったらきっと、ケープは阿鼻叫喚の騒ぎになっていたことでしょう。
まぁクローズドの時はブーメランなんていう技は世に出ていなかったし(知ってる人は知っていたようですが)、アフリカ以降が実装されてなかったので、一度に数百万とか儲けることもできなかったし、思えばほんとにのんびりしてました。
酔い醒ましやハンザ金貨や盟約の美酒や会計+2の服は普通に店に並び、コツヨウを売る中華もおらず、酒場で飲んだり食ったりすればクエストが一新され、造船は時間さえあればできて、青ゾーンも名前点滅も赤ネームもなかった時代。
私はこののんびりとした大航海時代を体験し、その幻を愛してしまったがゆえに、今でも大航海を続けているような気がします。
クローズドでは、西アフリカ以降の港が開港されてなくて、現在の港はすべて補給港でした。
イベントもそこから先には進めせんでした。
しかし、最終日だけ特別に、ケープが開港されることになりました。
しかもレース形式で、確か夜8時からだったか、リスボンの教会で受付をすませてからケープに行くと、先着でいいものがもらえるという…。
最終日なんだから、現実の物でない限り何をもらおうとどうしようもないんですけどね。
どちらにせよ、9時過ぎでないとログインできない私は勝負とは無縁です。
しかしイベントは夜12時までやっているというので、とりあえず行ってみることにしました。
スタートが遅れたせいで、誰も一緒に行ってくれるフレはいません。
このイベントのために新調した軽ガレーに乗り、ひとりでいくことにしました。
この9時過ぎでないとログインできないというのは、今でも同じなのですが、最近のゲームのイベントは、8時頃から始まるのが圧倒的に多く、遅くならないとログインできない私は参加できなかったりして歯がゆいですね。
大海戦の10時というのはギリギリのラインです。
9時なら100%参加できません。
終盤のレベリングで、カツマも戦闘Lv13くらいになっていて、軽キャラベルに乗れるようになっていたのに、軽ガレーで出撃することにしたのは理由があります。
このイベント、ケープに着くまでにGMやスタッフが戦闘をしかけ、邪魔をすることになっていたのですが、明らかに弱い船に対しては戦闘をしかけないらしいのです。
まぁGMやスタッフの船は戦闘ガレオンだったみたいなので、今考えれば軽キャラベル1隻でも充分弱いのですが、当時はそんなことわかりませんから、念のため軽ガレーを選んだというわけです。
そして私にとってはラッキーなことに、参加者が多かったせいか、イベントが始まってからまもなくサーバーダウンしていたようで、終了時間が1時間遅くなって、翌日1時までとなりました。
で、リスボンで参加証のアフリカンフェザーだったかをもらい出発したのですが、ビーチ製軽ガレーなので、これが遅い遅い。
今なら商用フリッパーで直行だと45分くらいだと思うのですが(大回りしたり途中寄港することが多いので正確なところはなんとも)、当時1時間半はたっぷりかかったと思います。
2時間まではかからなかったかな。
しかも私は冒険野郎ではなかったので、そんな補給港しかないようなところには行ったことがなく、どこに港があるのかとかどのへんに海賊が多いとか全然知りませんでした。
なので海賊を避けるために陸から離れて航行するのはいいけど、それだと逆に補給港の場所がわからないと、いろいろ不便な思いもしました。
実際、どうやらカーボを見落としていたらしく、アルギン→シエラ間で食料が尽きかけています。
しかし、料理で凌いで何とか航行。
周囲にはスタッフやGMに襲われた艦隊とかもいましたが、GMさんは私の小さな船は見逃してくれたようです。
ケープに到着すると、既にたくさんの人が中にいました。
私は到達した男性キャラ全員がもらえるズールーウォリアーを着てみたのですが、これが何とも似合わない…。
今までリスボン投資で買えていたコルセアコートを着ていたのですが、無理もありません。
でもまぁお祭だからと思って着ていたのですが、どうにもひとりなので寂しいです。
しばらくして先日野良艦隊でご一緒した、Dさんと再会しました。
そこでDさんの知り合いの方がたに交えてもらって、記念撮影をしたり、イベントの話に花を咲かせたり、楽器を演奏している人たちや無意味に家の周りを取り囲んでいる人たちを見物したりしました。
また現地にはGMやスタッフもいて、プレイヤー達はくちぐちに要望や意見を出してました。
h嬢は私よりさらに遅れてスタートしたのですが、彼女の商会の人たちに助けられ、何とかギリギリで間に合いました。
残念ながら商会の人たちに囲まれた彼女とはほとんど話せなかったのですが。
思えば仲間うちで4人で始めたクローズドでしたが、めぐみんは初日見ただけ、笹山も中盤で脱落し、残ったのはこの2人だけでしたね。
そして、ケープからリスボンになんとワープできたので、帰りはうんざりするほど長い復路を引き返さなくてもすみました。
リスボンで待っていたmiumiuに、お土産のケンテを渡し、SSを撮ったりして、またカツマに戻りました。
まだサービス終了までには時間があったけれど、カツマの最期は決めてました。
まず生まれ故郷のロンドンに戻り、広場で敬礼し、シュランのクエをひとりで受け、完膚無きまでたたきのめされ、コペン沖に沈んだのです。
下手な終わり方をすると、サービス終了ギリギリまでふらふら遊んでしまいそうだったので。
クローズドの時の大航海は、今ほど相場がシビアじゃなかったし、ブースト装備も比較的簡単に手に入ったし、ハンザ金貨なんてハンブルグで普通に売ってましたからね。
今と比べるとかなりヌルかったけど、その分快適に遊べてたような気がしました。
なのでケープでGMやスタッフに投げかけられた声も、まぁ最終日まで残っていたプレイヤーだからかもしれませんが、声援や建設的な意見が多かったように思います。
あからさまに苦情を言うような人はまずいませんでした。
今のような仕様だったらきっと、ケープは阿鼻叫喚の騒ぎになっていたことでしょう。
まぁクローズドの時はブーメランなんていう技は世に出ていなかったし(知ってる人は知っていたようですが)、アフリカ以降が実装されてなかったので、一度に数百万とか儲けることもできなかったし、思えばほんとにのんびりしてました。
酔い醒ましやハンザ金貨や盟約の美酒や会計+2の服は普通に店に並び、コツヨウを売る中華もおらず、酒場で飲んだり食ったりすればクエストが一新され、造船は時間さえあればできて、青ゾーンも名前点滅も赤ネームもなかった時代。
私はこののんびりとした大航海時代を体験し、その幻を愛してしまったがゆえに、今でも大航海を続けているような気がします。
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